- 2026.02.02
- 祝祭日は ” ラッキー ” なのか
2026.02.02
祝祭日は ” ラッキー ” なのか
この前、うちの一番下の子(小学6年生)が、不意に
「今日、休みだった。ラッキー!」
と言っていたので、
「本当にラッキー?」
と切り返してみました。
確かに自分も子供のころは、休みが多い方がいいし祝祭日は高揚していたように記憶しています。
でも、あらためて考えてみると、このラッキーは本当にラッキーなことなのかと考えてみました。

“ ラッキー ” の正体はなんなのか
固定給のサラリーマンであれば、月々もらえる給料が変わらないのであれば、当然休みが多い方がラッキーですね。
でも、休みの日にバックアップ機能で誰かが仕事を進めてくれている事でもなければ、結局は業務タスクが立て込んで残業や休日出勤をせざる負えない状況もあるでしょう。
(これは、冷静に見てラッキーなのか?)
別の例で考えてみても、例えば小学生は学費がかからない(実際は税金で賄われているので間接的に授業料は負担しています)。
しかし私学や専門で直接支払っている場合は、お金を払っているのに勉強する時間を削られている。
もっと言えば割高にさせられているのに、本当に「ラッキー」なのでしょうか?
と言うことで考えると、社会人(大人)も学生(子ども)も休みだからラッキーなのではなく、
「拘束されずにすむ期間」のことをラッキーと捉えている
のではないでしょうか。
人間は拘束されない時間が永遠に続くと脳死する、と言う説もありますが、
この拘束されていない“自分なりに自由に使える時間”を欲しているのではないかと言うことになります。
本当の意味でのラッキーとは
それでは、好きなものに熱中したり没頭している間はどうでしょう。
これもある種の拘束になっていますね。
何かを見続けることや、やり続けている行為そのものに拘束されていると言ってもよいでしょう。
でも、好きなものや熱中している事に対しては、不思議と倦怠感を感じることはあまりないですよね。
そう考えてみると、
勉強や仕事を仮に好きで行っていたり、
誰かに強制されてやっているのではなく、
自ら望んでやっている事
なのであれば、倦怠感が起こる率は少ない、と言う事になりませんか。(あくまで仮説ですが)
これが、もしできるのであれば勉強や仕事の効率も格段に上がり、本当の意味でのラッキーにならないですかね?
質と量で考えてみると短時間で同じ効果(成果)を出せる可能性が高いと予想できますから。
話を最初に戻しますが、私の結論としては
「祝祭日がラッキー」なのではなく
「”祝祭日に何をしたか”で、本当の意味のラッキーかアンラッキーかが変わる」
ということです。
なので、無理に活動するという事ではありませんが、自分なりにラッキーと思える時間をたくさん作ってもらいたいと思います。
それともう一つ、仕事も勉強もやらされるのではなく、自分にとって必要な物事を取捨選択して、やってみてもらえたらと思いますね。(笑)
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碇 敏之(いかり としゆき)
1973年北海道生まれ。元漁師。高校中退後、ミュージシャンを目指して上京。
2001年に有限会社リペアシステムサービス(現:リングロー株式会社)を設立し、リユースPC事業を展開。誰もが情報機器を使いこなせて、豊かになれる社会を目指し、その一環として中古PCブランド「R∞PC(アールピーシー)」を手がける。常に“安全そうな道”より、“意味がある方”を選び続けている。
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